林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の『浮雲』は、公開された1955年「キネマ旬報ベストテン」の1位に。現在では想像し難い撮影所システムが十全に機能している時代、成瀬組と総称された驚くべき数のスタッフが最良の仕事を発揮し、主役の高峰秀子、森雅之、脇役の山形勲、加藤大介の名演技も相まって、今日までも映画史に残る恋愛映画の傑作となった。

洗練された演出スタイルで、人間の弱さ、悲しさ、愚かさを描く成瀬芸術の最高峰―『浮雲』
成瀬巳喜男監督

今年3月、福岡市総合図書館映像ホール・シネラで成瀬監督の生誕100年を記念した《成瀬巳喜男映画祭》が開催される。劇場のスクリーンで、本篇『浮雲』を再び見ることができるのだ。

 富岡(森雅之)は、農林省の技官で、戦争中に日本占領下のインドシナ(現在のベトナム)に派遣され、森林資源を管理する仕事に携わっていた。そこへ日本から、ゆき子(高峰秀子)というタイピストが派遣されてくる。占領下といっても、戦闘もない明るく開放的な雰囲気さえあるエキゾチックな土地で、日本に妻のある富岡とゆき子は激しい恋に落ちる。
 敗戦の翌年、ゆき子は着の身着のまま復員し、いまだ焼跡が残る東京に富岡を訪ねていく。富岡は「先に帰国し、妻と離婚してゆき子を迎える」と約束したが、現実に引き戻されてみれば、そんな約束はすぐに色あせてしまう。

 二人はうらぶれたホテルで向き合う。
 「日本に戻り、まるっきり違う世界を見ると、家の者たちをこれ以上苦しめるのは酷だと思ったんだ。戦争中を耐え通し、僕を待ってくれていた者に、ひどい別れ方をできなくなってしまったんだよ」。

 職もなく、生きる気力も失ったゆき子は、路上で行き合ったアメリカ兵のオンリーになる。ある時、富岡が訪ねてきて、そんな彼女をなじり、ゆき子もまたなじり返す。相手の心を傷つけ合うことしかできない二人は、どちらもみじめな気持ちになる。それでいて富岡はゆき子を抱いていくつもりなのだ。ゆき子はだまされたと思い、とめどなく愚痴や恨みごとを言う。気がめいった富岡は帰っていく。森雅之も高峰秀子も絶妙の演技で、実に寒々とした情念がくすぶる名場面の一つである。

女:「あなたってこわい人だわ・・・。自分のことばかりがかわいいんでしょう。しょうがない人ね・・・。それで他人には良く見えるのだからいいわ・・・。見え坊で、移り気で、そのくせ気が小さくて、酒の力で大胆になって、気取り屋で」。
男:「気取り屋か。それからまだあるだろう、悪いところ」。
女:「人間のずるさをいっぱい持って、隠している人なのよ」。

 果たして、二人の腐れ縁は続いていく。生と死と愛憎の絡まった、さまざまな事件が物語られながら、ついに二人は逃げるように屋久島へ・・・。


 人によっては身につまされるに違いない、気のめいるような恋愛映画だ。「人間を男と女の問題として取り上げ、その絶頂みたいなものを突き詰めてみた」という成瀬監督の言葉どおり、終始、高峰秀子は陰鬱(いんうつ)に思いつめた仏頂面をしており、森雅之は自虐的なまでに虚無的で皮肉な表情を崩さない。極限状況に追いつめられて、緊張し苦悶(くもん)する。しかも笑顔を見せて心和む瞬間もなければ、エロチックに高揚することもない。
 成瀬監督がまなざそうとしたのは、うんざりするほど愚かではあるが、決して悪人ではない平凡な人々の愛すべき姿なのであろうか。二人の関係は不純であり、美しい言葉も交わされず、深い思いやりも献身もみられない。決して美しい恋でもない。にもかかわらず、二人が互いに相手を最期の救いとして求め合っていることにかわりはない。成瀬監督はその1点において、この恋人たちを肯定し、讃(たた)えてもいる。『浮雲』が美しく輝き、わたしたちの胸を激しく打つのは、この心貧しい恋人たちが、ほとんど高貴で純粋でさえもあるからなのだ。

 成瀬監督は、黒沢明、小津安二郎と並ぶ日本映画の巨匠として世界的な名声を獲得している。戦争映画や反戦映画に興味の持てない成瀬監督が、戦後高く評価されたのが林芙美子の小説を映画化した『めし』(1951年)や『浮雲』(1955年)などの作品であり、以後、日本映画の黄金期に珠玉(しゅぎょく)の作品群を生み出していった。
 メロドラマ、女性映画の名手と呼ばれることの多い成瀬監督ではあるが、彼は、強い人物、賢い人物、地位の高い人物などを描いたことはほとんどなく、つねに、弱い、愚かな、平凡な市井(しせい)の人々、そしてその平凡な人々が、いかに愛すべき人たちであるかを描き続けた。
 『浮雲』は、戦争中を外地で過ごし、敗戦後日本に帰ってきた男と女の物語である。引き揚げてきたものの自分たちの居場所はなく、生活の基盤もなく、そのため日本の社会が復興していくのと逆行するように生活に追われ、ついには南の離島、屋久島まで追いつめられていく道行の物語である。
 時代の大きな転換を必死で生きようとし、生ききれなかった男と女の物語を、成瀬巳喜男がどのようにまなざし、描いていったのか。これは極めて今日的なわたしたち自身の物語でもあろう。『浮雲』という優れた映画が持つ意味が、今も、将来にわたっても、新たな価値を帯び、見直されるべきだと考える所以(ゆえん)である。

『浮雲』1955年/モノクロ/123分/東宝作品