福岡県地方自治研究所の久塚純一所長がこの4月からフランスに留学中である。そこで、専門である社会保障を軸に、フランスの制度や風土についてレポートしてもらうことにした。

そのT・・・書かせていただきます。

 介護保険が動き始めて十年が経とうとしている。制度化にあたって賛否両論あった中で、政策化をリードしてきた考え方のひとつが「措置」から「契約」へという考え方であった。これについては、うまいこと言うな・・・(「身分」から「契約」へ)=(「アンシャン・レジーム」から「近代市民社会」へ)と似ているな、と感じた。
 よくよく観察してみると、「介護保険制度」をめぐる議論は、一見したところ対立しているように見えながらも、実際には、ずれてしまっているというようにいってもいいだろう。そのような事態を引き起こしているのは、「介護保険制度」の登場について、@「公的な責任」で対応してきたもの=措置制度としての高齢者の介護=を「私的な責任」に転嫁するものとして位置づける立場からの立論と、A「私的な責任」で対応されてきたもの=実態としての高齢者の介護=を「社会的な責任」で対応するものとして位置づける立場からの立論とが併存していたからだと思われる。前者が制度のレベルで議論しているのに対して、後者は、(制度が不十分であるから実態がそのようになるか否かは別として)介護の実態のレベルから議論を開始する。どちらも間違っているとは言えず、それまでの高齢者の介護全体を見れば、前者がすべてではないし、後者もすべてではない。
 ところで、この記事を書いている私は、三月末からフランス(パリ)の九区に住んでいる。昔流に言うと「留学」というようなものであるが、調査のための一週間程度の滞在と違って、なかなか微妙なものがある。介護保険は、「措置」から「契約」へという表現によって進められたが、私自身が「自由」だとか、「契約」だとか、というように表現される本場にやって来たわけである。フランスの社会保障、大学、病院も、いろいろなところで、根幹にかかわる議論の対象となりつつある。それらについては、次回以降、かいつまんで書かせていただくつもりである。

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