氷解しない殺人動機 事件の背景を追って
16歳の少年が金属バットで母親を殺害した。少年院で矯正教育を受け、社会に復帰した2年後に再び殺人を犯した(大阪で姉妹を刺殺)。25歳になった若者は、今年7月死刑にされた。「人が死ぬのも物が壊れるのも同じです」と母親の殺害にも姉妹の殺害にも反省せず「死刑でいいです。控訴もしません」と一貫して断言した若者Yの背景に、共同通信社記者が触手を伸ばした。その取材は「『反省』が分からない―大阪姉妹刺殺事件」として2008年3月から50回にわたり、全国18紙に掲載された(大阪では「大阪日々新聞」)。その連載を補強して発刊されたのが「死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人―」。
Yの殺人動機の詮索はYのふびんな生活(酒乱の父の死、赤貧洗うがごとしの生活、Yをなしがしろにしアルバイトで稼いだ貯金を使いこむ母、Yと彼女との関係をつぶそうとする母など)で完結するはずだった。だがYは広汎性発達障害と診断される。さらにYは姉妹刺殺事件では、広汎性発達障害を否定され「人格障害」と判断される。Yの殺人動機の追求が病名のレッテルに振りまわされる危機に。著者は取材メモとして@発達障害の「アスペルガー症候群」A「少年院」B「精神鑑定」のことをあげ、カウンセラー、精神科医、元家裁調査官から提言を聞いている。だが殺人の元凶の謎を求めて著者は迷宮にまぎれこんだような気がする。読者も捜索者となって歩まざるをえない。Yは精神障害だから、母殺しに至ったのだろうか。少年院で事件の重さを直視せず、「反省」もできず更正しなかったから、姉妹殺害に至ったのだろうか。残酷な殺しは障害者特有のものだろうか。少年院を出た後、仕事、人間関係がうまくいかねば殺人に走るだろうか。「反省」しない、「死刑でいいです」で、短期に死刑を執行して解決になるだろうか。裁判員制度にふさわしい力作であるが「謎」は氷解されようもない。